フツーに食べたい

依存症の中でも手強い摂食障害をなんとか克服したいと思っています。前向きになれる日もあれば、後ろ向きの日もあります。どうぞ温かく見守ってください。

キャパ超え

拒食症に陥ってる人の中で、食べたり飲んだりするとカラダに痛みがはしるひとっているのかな。


わたしは凄く痛い。


ノドから胃から下腹まで激痛がはしる。


どんな痛みかといえば、針金で切り裂かれるような痛み。


苦しくて痛くて、いつもそれに負けて吐いていた。


これがなきゃ食べられるのになって、いつも思ってる。


フツーに食べられる感覚が、全く自信ないな。


わけのわからないカラダ中の痛みとも、もうかなり付き合ってるし、ろくに栄養摂れなくなってからも長い。



体力残ってないよ。

日々下降。



お出汁と果汁からはじめた今日は、ダメだった。

少量でも嘔吐した。

1日であきらめないけど、いまはツライ気持ち。



何にも口にしなければ、この痛みは2〜3日で無くなるのを知ってるから、


もう頑張りたくなくなる気持ちもあるっちゃ、ある。



わたしが知りたいことは、



これは、頑張れば克服できるのか。


それとも、頑張るのが無意味なくらい、もう不可逆的に内臓が死んでるのか。




今までも、ギリギリの気力だけで生き延びてるだけだから、


やっぱり鞭打って頑張らないといけないのは、すでにキャパ超えかも。



1日目にして、弱気。




朝、ゆるゆるだった指輪がきつい。


手のむくみ、ハンパない。

治りたい

ストレスに弱いから、ストレスが関係するような病気はたくさんしてきた。


病気とは言えないかも知れないけど、幼稚園のとき吃音だった。


どもり。


最初の言葉が「あ、あ、あ、あのね」とかになっちゃうやつ。


これはね、子どもにとっていじめの標的になる。


からかわれるのが怖くて、とてもおとなしい子どもでいた。


幼稚園から帰ると、ダイニングでイスに座って、お母さんと言葉の練習をしたのを覚えている。


苦痛じゃなかった。

お母さんが、わたしのために作ってくれた貴重な時間だったからね。


友だちにはからかわれたけど、お母さんは幼稚園の先生たちに、「どもってることには、触れないで接してください」とお願いをしてくれていたらしい。(のちに聞いた)



吃音はチック症のひとつの症状です。

神経質な人に現れやすいと言われています。


いまも、あるよ。

緊張した時の、顔の痙攣。

瞬きが増えること。

これも、チック。


オネショも、そんなに頻回ではなかったけど、小学4年生まであった。

オネショと言うより、寝ぼけ?

2階で寝てたけど、寝ぼけて歩き回り、トイレじゃないとこで用を足しちゃうことが何回かあった。


眠りの浅い子どもで、夜中に目覚めては「死ぬのが怖い」と泣いたっけ。


そうそう、指しゃぶりもなかなか終わらなくって、ひどい時は親指以外の4本ゆび、全部咥えてた。

そのせいか、今も、いくらか出っ歯になってる。

10歳のお誕生日に、わがまま言って『おしゃぶり』を買ってもらった記憶が。


思春期からは、摂食障害、神経性胃炎、過敏性大腸炎、突然の失語、ヒステリー球。


出産を経て、育児ノイローゼから、うつ病。


最近では、ストレス性心筋梗塞とも言われた。



それでも乗り越えてきた症状もたくさんある。

だって今は、摂食障害だけじゃんね。

手強いけれど、ひとつだけになった。



精神科に行くきっかけになった『育児ノイローゼ』も、はたから見たら軽いものだったかも知れないけれど、わたしにとっては深刻だった。


はじめての子どもで陥ってしまった。



知ってる人もいるかと思うけど「ほんとは今、子ども欲しくない」と、当時の彼(元夫)に言われての妊娠発覚だった。


ひとりでも産む決意をして、結局は入籍もしたけど、産む前から不安が大きかった。



ただただ可愛いとだけ思えたらよかったかも知れないけど、出産の分娩台の上で、既に「わたしはなんて責任重大なことをしてしまったんだろう」と恐れおののいていたのを覚えている。



わたしはね、そんなに愛情いっぱい降り注がれて育ったわけじゃないから、やっぱり子育てには理想があった。


『この子を、天真爛漫な子にしたい』って。


それをお母さんに言ったら、「無理でしょ。あんたが天真爛漫じゃないんだから」と言われて撃沈。


出鼻をくじかれた。


抱き癖がどうたらこうたら言われる時代だったけど、わたしはできない時以外は、ずっと抱っこして育てた。

だから、腱鞘炎にもたびたびなった。


愛情だけは、出し惜しみしたくなかった。


生まれてすぐから、まいにち絵本を読んで聞かせた。

いつも歌をうたった。

「いい子だね」「かわいいね」「たいせつだよ」と言い続けた。もちろん本心で。



わたしは母乳がほとんど出なくて、だから母親失格な気がして、むすめに対して申し訳ない気持ちになったとともに、自信もなくしてったんだよね。


だから、離乳食とか、日々のご飯とか、仕事が忙しくっても手抜きしたくなくって、手作りにこだわったんだけど、それがいけなかったのかも。


食べてくれないと、イライラしたり悲しかったり、とにかく負の感情でいっぱいになる。


押し付けの愛情。


わたしが幼い子と2人切りで過ごすのが苦しくなるのと同じで、むすめだって充分息苦しかったんだろうって、今ならわかる。


それでもギリギリのところで、うまくやってたとは思う。

やさしいママと、笑顔の絶えないむすめって映ってたと思う。


まるでオママゴトだったんだけどね。


子どもが小さいうちは、結構そういう家庭、多いんじゃないかな。



次女が生まれてからの長女といったら、不安定そのものだった。


わたしの見てないところで赤ちゃんに暴力を振るって泣かせるし、


爪噛みがひどくて、3年間くらい爪切り要らずだった。


歯ぎしりも乳歯の長さが半分に削れるくらいひどかった。


夜驚症になり、毎日のように、眠った2時間後くらいに起きだし、泣き叫んで暴れた。


子育ての大変さを、まざまざと思い知らされた。


過ぎてみれば、ただの『赤ちゃん返り』だったんだろうね。



自分がお母さんから、もっともっとあからさまに可愛がられたい願望があったから、


やりかたは間違いだらけだったけど、すごく愛情を持って育ててきたと思う。


して欲しかったけど、して貰えなかったことをやり尽くした。


自己満足でね。


むすめにしたら迷惑だったことも多いと思う。




育児ノイローゼから抜け出した理由は、もちろん子どもたちの成長もあるけど、


2人を年齢で考えるのをやめたことが大きい。


『○歳だから、これができて欲しい』とかやめた。


『この子はいま、これを求めてるんだろうな』って、"この子"にとってのキャパを一番に考えるようにしたこと。




わたしはACだし、こんなオバサンになっても結構めんどくさい"お子ちゃま"だけど、


ちゃんと考えたり学んだりしたこともある。




摂食障害も、乗り越えて治したい。


太るのは、たしかに怖いし、


カロリーや体重とか、数字に支配もされている。


吐くことでバランスとってるって、本当のこと。


いつも何かに僻んで、人を信じられずに、ACも摂食障害もこじらせてきた。


それによって、たくさんの人やモノを失ってきた。


それこそが、母親失格だよね。


むすめがお嫁に行くまでに、健康になりたいから、


でき得る努力はしてみよう。


一朝一夕には治せないくらい、壊した身体だから、


人と比べないで、自分のペースを守る。


今日からもう一回赤ちゃん育てるつもりで、離乳食からはじめてみる。



自分の育てなおし🌱




昔のことばかり振り返って書いてる理由は、どこでおかしな道に進みはじめちゃったか反省してるから🌸